■コミュニケーション

コミュニケーション

会報から

ウォーキングの効用?!

三枝 延久

(さえぐさ のぶひさ)

週に4、5日、早朝または夕方にウォーキングをやってきた。その日の気分でコースを変え、道中草花を愛で、また小鳥の囀りに耳を傾ける。雑事を忘れさせてくれる至福の時間である。だが週1、2日に減ってきたことが残念である。

最近、改めて気付いたことがある。一つは、途中で出会った人には、“おはようございます”“こんにちは”とこちらから必ず挨拶をするが、“先方から返ってこないことが増えてきたように思う。適うことなら、“通学時の児童のように”元気な挨拶をお互いに交わしあえるようにぜひなりたい と強く願っている。

一方、うれしい気付きの一つは、久しぶりに有 料料金所下のアンダーパスを歩いたときに、トンネルの壁の両サイドに描かれている絵を発見した。柏原小学校の生徒さんの作品で、河川側は23 年度6年生の「卒業記念作品」、陸側は24年度6年生の「地域貢献活動の作品」。それぞれ3点、見事な力作が描かれていた。ウォーキングの途中で、このような作品を見ることができるのは、本当にうれしい限りである。

8区自治会内には、もう一カ所、用水路沿い の通学路にトンネルがある。このトンネルにも、柏原小学校生、または、こちらは壁が高いので、柏原中学生が作品を描いてくれることを大いに 期待したい。小・中学生のエネルギーをもらって、地域に元気が出て来るような循環をぜひ地域の皆で創っていきたいものである。

(会報第11号 2013.06.25)

詩吟教室に遊ぶ

諏訪 義英

(すわ よしひで )

8月に当 NPO のコミュニ ティサロン事業の一つである詩吟教室に入会した。動機は単純である。テレビの歌謡番組に合わせて歌を口ずさんだら、低音部と高音部の歌詞が声にもならなくてあわてたことである。最近体調を崩して声も出なかったのである。役員の「詩吟教室で発声法の練習をするといいかもしれない」という勧めもあって会に顔をだした。

ところが、やってみると大変だ。まず漢詩の素養がない。先生の説明を聞き、辞書も引く。節調という音程や音階を示す得体の知れない符号に戸惑う。やっとの思いで習得した吟詠をテープで再生すると、吟ずるだけで味がない。「カラオケの方がよかったかな」。

それでも最近少し声が出るようになった。何よりも漢詩になじんだり、詩の意味を考えたり、今までとは違った分野での働きで、脳が活性化してきたかも知れない。

(会報12号 2013.10.31)

心に化粧を!

酒井 道昭

(さかい どうしょう)

サラリーマン生活を卒業してから早いもので、今年で10年目になる。

徒然なるままに、わが生き方を振り返ってみると、現役時代は実に会社人間であった。また、先輩・同僚達も企業戦士が多かった。

そして自由競争に勝ち抜き、ナンバーワンを目指すことが「繁栄」に繋がると信じていた。

だが、このような高度成長は疾っくに終わり、時代と共に競争社会への価値観も変わった。

アイドル・ユニットSMAPのヒット曲「世界にひとつだけの花」に次のようなフレーズがある。

♪ナンバーワンにならなくてもいい、

もともと特別なオンリーワン♪

お互いにかけがいのない尊い命、尊い仲間、ナンバーワンでなくても、オンリーワンの存在であることを称えている。

ところで、わが「ユーアイネット柏原」の理念はまさにオンリーワンを目指すものと自負する。

今年は活動3年目に入るが、少しでも地域のみんなが希望と自信を持って、安心して暮らせるまち創り・仲間作りができればと思う。

お互い人生経験豊かな仲間同志、無理をせず知恵を出し合って着実に行きたいものだ。

話しは変わるが、今年の新年会で久し振りに会った会社の仲間が、話の中で‘ボケ’の話題になると、手帳に挟んであった紙切れを取り出した。作者不詳であるが一編の詩句が書かれてあった。

「趣味の楽しみを持った人、仲間のいる人、心豊かに祈る人、年を取ってもボケません」

「不平不満を言わぬ人、感謝する人、いつも笑顔で暮らす人、年を取ってもボケません」

「人の世話が好きな人、ロマンチックで粋な人、心の化粧をする人は、年を取ってもボケません」

簡明な詩であるが、含蓄に富む内容である。

お気に入りの座右の銘としている。

(第13号 2014.04.01)

遥かなる谷川岳

絹川 幸次郎

(きぬかわ こうじろう)

谷川岳一ノ倉沢衝立岩、映画「クライマーズ・ハ イ」の舞台にもなった、上級者ロッククライミングの名所である。50数年前のある秋の日、頭上に覆いかぶさる岩壁のど真ん中に私たち2名は取り付いていた。澄みきった青空が広がっていた。その岩壁は若い私たちがこれまで経験したどの岩壁とも違っていた。時間だけが無情に容赦なく過ぎていく。私たちは 順に下降することにした。事故はその時起きた。私は空中を30m滑落しザイルにぶら下がっていた。何が起きたのか分らなかった。なぜなら下降の途中、ザイルの滑りが悪く安全環をザイルから外していたので止まるはずがなかったからである。(ダブルにしたザイルの間に登攀用具が挟まる稀有な僥倖で滑落停止)

1960年代、日本が敗戦から立ち直り高度成長期に入った時期なのだが、いつの時代にも多少屈折した若者はいる。夢叶わず挫折するなどの世代にあたる。私の場合は最初から頓挫した稚拙な鬱憤を山岳にぶっつけていたのかも知れない。そこが居場所のように思え、なにがあっても仕方がないと覚悟のようなものを決めた。やがて人並みに結婚し、子供が生まれ、少しずつ登山とは疎遠になっていった。

月日は流れて、あの時幸か不幸か生かされた。だが愚か者は懲りることなく何倍も登攀にのめり込むことになる。山が微笑んだのか運なのか多分前者になる。その後も窮地に遭遇するが生きながらえた。

そして滑落事故のあの時、心のどこかに収めたはずの“生きることの意味”については、忘れた訳ではないが無為に重ねた歳月から今も抜け出せずに いる。一昨年、古稀を迎えた。

遠い昔の記憶を胸の裡に、この数年は早朝の地域清掃や高齢者世帯の庭仕事に明け暮れしている。

(会報第14号 2014.08.18)

私の座右の銘

野角 隆司

(のずみ たかし)

50年前の1964年は東京オリンピックの開催年でしたが、私が初めてアメリカニューヨーク州ロチェスター市に単身赴任した年でもありました。輸出品の品質保証とアフターサービスが私の主な仕事でした。

戦後20年近く経っていたとはいえ、当時のアメリカ人は日本人を「ジャップ!」と呼んで人種差別することがまだ多く、結構肩身の狭さを感じる中で、私は懸命に仕事をしました。

赴任直後、私は一生忘れることのできない経験をしました。

現在アメリカはカード社会ですが、当時は小切手社会であり、家賃でもなんでも現金ではなく小切手決済が普通でした。それで銀行に行って、拙い英語で、「小切手の口座を作りたい」と頼みました。

応対したのは中老の男性行員でした。彼は英語でいろいろ説明してくれました。私は小切手の知識がまったくないために、彼の説明を聞いても肝腎の大事なところが理解できず、ついにギブアップ。私は、後日改めて来ます、と言って帰ろうとしました。

「ちょっと、待ってください!」 彼は私を引き留めました。「私は、日本語が話せない、それゆえ日本語で説明はできない。しかし、あなたが小切手の仕組みを正確に理解できるまで、何度でも何時間でも、英語で説明します」と言ったのです。そして何度も何度も丁寧に説明してくれました。私は手形決済に2つの方法があることがやっとわかりました。そして約一時間後、無事小切手口座(checking account)を開設できました。

たかだか月250ドルの小切手を使う稚拙な英語の日本人にたいして、なんと一時間近くも懇切丁寧に対応してくれたのです。私は彼の親切な行為に心から感動しました。

私はそのとき彼のその行為を自分の仕事のお手本としようと決め、自分のための座右の銘を作りました。

「いかなる差別も偏見もない接客態度と顧客への徹底したサービスに徹する真摯さ」。

私はいまNPO法人ユーアイネット柏原で、支援の必要な方々のお役に立てればと、生活支援事業の仕事をしていますが、そのとき作った座右の銘を今も堅持しております。

(会報第15号 2015.02.10)

やっぱり体力づくり

中村 ゆりこ

(なかむら ゆりこ)

わたしは広島県庄原市の生まれです。地元の知的障害児施設で4年間働いた後、所沢の職員養成所で1年間専門的知識を学び、縁あって東京都の福祉施設に就職しました。

「重い障害があっても地域で当たり前の生活を」「人権の尊重」自分たちはどう支援したらいいのか学び続け、コミュニケーションができにくい方の日々の生活を支えるのは心身ともにきつく、でも、いろいろ成長させてもらえた仕事でした。

30年前に狭山市に引っ越してからは、通勤も1時間半以上かかり交替勤務のため、夫には早番の送りや育児、義父に保育園の送り迎え、家事の協力を得て育児休業もなく働いてきました。

義父が高齢になって介護が必要になり、仕事を続けるか悩んだとき、訪問看護の方に「続けていいんですよ」と励ましていただき、働き続けることができました。家族や支えてくださった方に本当に感謝です。

定年を迎え、腰痛も悪化して、体力つくり、孫育て、ライフワークをと思って退職しました。

「青空の会」「成年後見人」「趣味」「学び」「家事」と退職後の生活が始まっていたのですが、お年寄りや障害を持った人、子育て中の方が「地域」で安心して暮らせるように、という素晴らしい目的を掲げて活動しようとしている「ユーアイネット柏原」に誘われて、私でも必要としていただけるならとメンバーに加わりました。

「地域で共に」のキーワードで在職時代を思い出し、有償サービス活動や子育てひろば、夏休みこどもサロンなどボランティア活動にも取り組んでいます。無理をせず、できる人が、小さな力を合わせて、仲間と楽しく共に、という有償ボランティア活動ですが、今年度は大きな資金の壁に直面して、活動を継続していくことのむずかしさを強く感じています。

ということで退職後も忙しい生活が続いています。

やりたいことをやるには元気で明るく、前向きでないと。

やっぱり大切なのは体力づくりですかね!!

(会報第16号 2015.09.10)